東大卒東京U監督、25年前の体育教官室からの逆襲(日刊スポーツ)




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出典元: 関東リーグでブリオベッカ浦安に3-0と快勝し、笑顔の福田監督(4月29日、東京・小石川運動場)

人は誰しも「コンプレックス」を持っている。コンプレックスとは本来、複合的な心理体のことを意味する精神医学の用語だが、日本社会では「劣等感」として定着している。

出自、容姿、学歴、キャリア、経済力…、数え出したらキリがない。そんなコンプレックスによってうらやみ、ねたみ、やっかみといった負の感情をわき起こり、同時に挫折感を味わうことになる。

■クラブの公式サイトに異例文

4月20日、あるサッカークラブの公式サイトに翌日の天皇杯東京都予選準決勝(対早大)に向けた「監督コメント」が掲載された。その一部を抜粋すると、こうだ。

   ◇     ◇

遡ること25年。暁星高校体育教官室での一幕。

高校三年生の私「先生、大学は早稲田でサッカーやりたいです。」

恩師林先生(早稲田大学ア式蹴球部OB)「おまえみたいな下手くそが早稲田に行っても、足手まといになるだけだよ。」

18の私の心は完全に折れました。しかし、おっしゃることはごもっとも。3年間で怪我ゼロ&公式戦出場ゼロの実績。2浪の末に東大へ。

(中略)

雑草には雑草にしかわからない矜持がある。25年前の体育教官室で恩師が続けた言葉。

「選手としての成功を求めることだけが大学生活じゃない。おまえは勉強だけは得意なんだから東大でも目指してみろ。きっと見えてくるものがある。」

早稲田に行っていればまた違うサッカー人生があったと思う。しかしながら、今のサッカー人生に後悔が全くない。

   ◇     ◇

なんて自虐的な…。自らの屈辱的な過去をオープンにした内容に驚かされるとともに、コンプレックスを見た。

この文章を記したのは、関東1部リーグに所属する東京ユナイテッドFC、そのクラブの創設者で代表兼監督の福田雅(まさし)、44歳。2年前に元日本代表DF岩政大樹選手(現在は引退)が加入したことで話題となったチームであり、東京のど真ん中、文京区からJリーグを目指すクラブのトップである。

日本社会では大きな後ろ盾となる「東大卒」。加えて「公認会計士」「みずほ証券グローバル投資銀行マネージングディレクター」「日本サッカー協会監事」とさまざまな肩書が付く。そんなエリートビジネスマン率いるクラブには「みずほフィナンシャルグループ」をはじめ、大手企業がスポンサーとして名を連ねる。試合中、ピッチ脇ではピシッとスーツ姿で決め、オールバック風の髪形に切れ長の鋭い目を光らせる。スキがない…。そう思い描いていたイメージが崩れた。

しかも監督というクラブの看板を背負う強い立場の人間が、なぜ唐突にこんな文章を掲載したのか? そもそもどういう人生を歩み、今に至ったのか? いろんな思いが頭に沸き上がった。後日、取材の約束を取り付け、膝をつき合わせた。

■暁星高サッカー部で掲げた目標

福田監督は笑みを絶やさない、気さくな人物であった。率直にこちらが抱いていた印象を伝えた。エリートビジネスマンでスキがなく強い、強いと思っていた人物だったと。それが、なぜまた正反対の「弱さ」を白日にさらしたのか。その意図を知りたかった。

「僕はいつもこういうタッチですけど。一方でもちろん僕らは将来のエンターテインメントのビジネスをやっているわけで、彼我(ひが)の差を創出するためにプロデュースしなければいけない。だから、そういう印象を持ってましたと思わせたなら、僕らのブランド戦略の勝ちですよね。あえて、そういう尖(とが)ったところを(演出した)というか」

そして核心を突く言葉を口にした。

「僕はお上品な生まれじゃない。でも、そういうところに杭(くい)を打ってやろうと思って、暁星の門をたたき、東大の門をたたき、行ってみたところで“こういうものか”って分かるわけじゃないですか。外からの見え方、中にいる時の自分たちの見え方。いろんなものが僕にはある。僕は小さい頃からコンプレックスの塊でした。だからこそ分かる、その利用価値が。“やれ東大だ”とか“やれ公認会計士”だとか、くそエリートで嫌なヤツなんだろうなっていう一瞬敬遠するところ、そこを越えた時にグッと人をひきつけられる」

そう話した福田監督の源流をたどるとこうだ。東京・江戸川の生まれ、実家は青果店。サッカー少年だった時から全国大会で活躍する暁星の赤いユニホームに憧れ、塾に通って中学受験した。しかし、あえなく不合格。通った別の中学が暁星の隣駅だったことから、暁星の制服を見るたびに劣等感を味わった。

思春期の負の感情は生活にも影響を及ぼした。素行不良で系列高校への進学はかなわず、他校を受験することになった。憧れの思いが首をもたげた。「若干名」の募集に一縷(いちる)の望みをかけ、再び暁星を受験。期せず合格を手にした。だが、そこに待っていたのはコンプレックス人生だった。

「林先生から入学する時に言われたことが、勉強でもサッカーでも日本一の努力をして日本一になれって。それに洗脳されて勉強もサッカーも手を抜かなかったけど。そこで知ったのが、世の中って残酷で、何かを成し遂げるために必要な努力の絶対量って、個人差があるんです。みんな努力をすれば報われるって言うじゃないですか、うそですよ。何か到達するには、ある人は1の努力で到達できて、ある人は100の努力をしても到達しないんですよ。僕はその現実を突きつけられた。誰よりも高校時代は練習しました。みんなから“努力家だ”って言われるのがすげぇ嫌だった。それは裏を返せば、努力しても結果を出せないヤツって言われている気がして。3年間すげえ頑張ったけど、1回も試合に出られなくて」

試合はおろか、ベンチにすら座ったことがないという。同期は最終的に13人しかいなかったのに、である。そこに大きな転機があった。

1993年(平5)11月の全国高校サッカー選手権東京都予選決勝、暁星は東久留米(現東久留米総合)をPK戦の末に破り、全国切符をつかんだ。その瞬間を西が丘のロッカー室前の通路で見届けた。歓喜の涙を流す仲間たちの陰で、一人だけ悔し涙を流した。

「俺は何一つやれなかったし、手にできなかった」

仲間がうらやましく、自分が情けなかった。一方で「絶対に東大に行ってやる、この試合会場にいる誰よりもすごいヤツになってやる」。そう決意した。思いがけず、コンプレックスが力となったのだ。

■変えられる事と変えられない事

東大合格には2年を費やした。浪人生活2年目には父が闘病し、看病しながら勉強した。当時を振り返れば、先の見えない苦しさで胸がいっぱいになる。大学入学した年に、その父は他界してしまうのだが。ただ中学受験失敗に始まる長年の「学歴コンプレックス」は消えた。

「大学受験だと、能力の差を努力で埋められる。ポテンシャル・コンプレックスは今でもあるけど、学歴コンプレックスは克服できた。僕はお産の時に左手が不自由になった。でも、これって生まれた時のケガだからどうしようもない。でも、それ以外のことって、自分の努力とアクションで変えようがある。僕の中では変えられるもの、変えられないものって明確にある。親と上司は選べない、生まれた時に背負ってしまったものって変えられない。ただ、いろんな制約条件の中で、何をアチーブ(達成)するか、どこまでアチーブできるか。これは僕の中でははっきりしている。逆に言うと、自分の努力次第でできるものがあるなら、そこにトライしないのは人生の機会損失でしかない」

東大(経済学部)が人生を変えた。そう言っても過言ではない。その後に続く人生では、サッカーと金融ビジネスを両立させるだけでなく、ビジネスマンとしての経験から、クラブの現場に企業の分業制、合理性を持ち込んだ。自らの監督スタイルは「優秀なスタッフと合意を形成し、決断するまで」と割り切る。

「東大に行って良かったなというのは、コンプレックスが解消されたことよりも、その環境に身を置くことで僕自身の能力を目いっぱいに引き出してもらえた。例えばエモーショナル(感情)をロジカル(論理的)に語るという。それはすごく大事なことで、何でも気合だ、頑張れは違う。それでは世の中動かない。でも、根本はそこ(感情)にあると思っていて、じゃあ、それをどうロジカルに語るか。どうやってマネタイズ(収益事業化)して、どうやっていろんなものを動かしていくのか。僕が東大サッカー部でリーダーをやったということは、それをすごく学ぶ良い機会だったなと。やっぱり思いがなければ人は動かない。説得力って正しいことをロジカルに言うことでなく、最後は誰が言うかだと思っている。その語り手にどんな情熱があるのか、どんな思いがあるのか、人に対してどんな愛情があるのか」

熱い語り口である。

さらに「人間って経験以外には成長するスベがない、って僕は思っている」とも。

これまでの人生、さまざまな肩書という鎧(よろい)を身にまとい、常に闘ってきたからなのだろう。自らを「ヒール(悪役)で口も悪い」と称する。周りからみれば、やっかみ、ねたみの対象ともなる。それも覚悟の上で「人間って、そんなもんじゃねぇのかな?」と自問する。

コンプレックスを力に変えて世の中を渡り歩いてきた男に、一歩踏み出すために必要なことは? と尋ねた。すると、すぐさま「やせ我慢です」と返ってきた。

「自分のメンタルの弱さと向き合って、カッコつけて一歩をどう踏み出すか。やせ我慢して、メチャびびっているけど俺は勝負するよって。ただそれだけだと思いますよ。メンタルが強いって言ってる人なんてただの鈍感ですよ。そんな人に他人の心の機微なんて分からないし、共感も生まない。共感してもらえるって、自分と同じ何か弱さを持っている」

コンプレックスは恥ずべきことでない、時には逆境を乗り越える糧ともなる。自らの弱さをさらけ出した1人の監督の言葉に、深く感じ入った。

【佐藤隆志】(ニッカンスポーツコム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)